2011年11月20日日曜日

二世ガンバレ

中和文化祭で二世のスピーチを聞いた。二世に共通の葛藤ーーーなぜ自分は二世として生きなければならないかーーーこれを乗り越えるには、結局、神様(の愛)を実感する時があるのだなぁと感じた。自分の意志でこの道を選んだ我々には、後戻りしたくないという思いがある。しかし、最初から二世として育てられてきた(見られてきた)者の気持ちは我々には経験のない世界である。だから二世を愛し、見守り、神との出会いの場を準備してあげるしかないのか?それでいいんだろうか?ーーー親は親で葛藤するーーーうん!やっぱり家族だ!真の愛を中心とした真の家庭だ!

2011年11月18日金曜日

もしも自分(あなた)が神様だったら

もしも自分が(全知全能の)神で人類を創造するとしたら、ただ自分の命令通りに動く人間を創るだろうか?原型となる肉身は創るとしても、ーーー人間たちが自分の自由意志で善人として成長して罪のない人類一家族のような平和な世界を創るのを見守りたいーーーと考えるのが自然ではないか。そのためには、人間が成長する期間が必要であり、その時は神様も直接干渉できない。だから人類始祖が神の願いに反して堕落してしまい、その後も悪の血統を繁殖させてきたために、神様が創造なさったにもかかわらず悪と罪がなくならない世の中になってしまった、、、。そのような人類を深い悲しみの中でご覧になっていた神様が実在するとしたら、、、。

2011年11月17日木曜日

共産主義を超えた思想との出会い

自分は学生時代に知った『共産主義』が正しいと思っていた(共産党員として活動していたのは2年間だけ)。だから『統一原理』と出会った時は「やっと共産主義の呪縛から解放された!」という感動を感じた。それが自分と統一教会の関わりの出発点だった(宗教団体ではあるけど内容は論理的な思想に基ずいているため宗教らしくないのも良かった)。信仰生活の難しさや自分の足らなさはいつも感じるものの、統一原n理の思想(理論)としての正しさは学んでいくほど確信が深まる。しかも、今の世の中を理想社会にしようという『運動』そのものなので、自分が参加していることにも誇りを感じる。ーーー神様から与えられたチャンスを自分の自由意志で選んだ道ーーーだというところに価値があると思っています。

2011年11月14日月曜日

俺はもっとやれる!

「自分は今よりもっとやれる」と信じて努力を続ければ絶対に成功できる。人と同じ時間の中で比べれば非効率的だと思えることでも、他人が何もしていない時にやればプラスαになるーーーあるアスリートの特番を見ていて、ふと「これって誰にでも当てはまるじゃないかなぁ、、、」と思った。しかし、それを実行するのがトップアスーリートであり成功者ということか。そうでない者との違いは何か?明確な目標とモチベーションを保つための強い意志、これを持てるかどうかーーー素質は関係無い、みんな平等にチャンスが与えられている、さらに自分の使命を感じるーーー俺はもっとやれる!

2011年11月11日金曜日

為に生きるためには

(人の)為に生きるということは、『自分のことはさて置いて他人を助ける』のではなく『自分のことはサッサと片付けて他人を助ける』ことーというみ言があった。つまり、人並み以上の能力を身につけて、それを他の人のために用いなさいということだろう。そして原理のみ言には各自の能力を高める力が有る!なぜなら、人生と宇宙の根本問題を解決する【新しい真理】だから。自分が何者で今がどういう時かをハッキリ知ることができれば、、、。

2011年11月3日木曜日

ボランティア

海岸清掃ボランティアに参加した。今年は原発事故の影響で人出が少なくてゴミは目立たなかったが、50人で小一時間拾ったらけっこう集まった。綺麗にするいういう行為は無条件に楽しい!それは誰もが汚い物より綺麗なものを願っている事に確信がある、つまり、人のために役立っているということに疑いがないからではないか。同時に、綺麗にしたいという人間の本心に反してゴミをポイ捨てする行為も無くならないという矛盾を感じる。(いくらゴミ捨て防止の規則を作っても解決しないでしょう) 本心に従って生きるということが簡単では無い世の中で、もがき苦しんできた我々を救おうとされている神様がおられるとしたら、、、。その声を聞こうとする姿勢がとても大切なことのような気がするのです。