2011年9月30日金曜日

TOEICの記事に思う

「郵便配達員が2年でTOEIC980点」というニュースにショックを受けた!実は自分も会社の方針で半年に一度TOEICを受験している。社内基準点はクリアしていて少しづつスコアも上がっていることに何となく満足していたのだが、、、。彼は高い目標に【挑戦】し、その為の努力を2年間続ける事で【勝利】した。それに比べて自分は何かやることが中途半端で、どこかで妥協していたように感じる。何事もやるからには徹底的に、ひたむきに、一心不乱に、、、やる所に【勝利】が与えられるのか。


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2011年9月28日水曜日

IT時代に想う

自分が「パソコン」という言葉を初めて聞いたのは学生の時だった。工学部の友人がMZ80という初期のパソコン(記憶媒体はカセットテープ)を持っていて、雑誌に載っているゲームのプログラムを打ち込んでいた想い出がある。今では子供達もネットにつながっている時代になって、少なくとも我々が経験したことの無い青少年期を謳歌している(?)氾濫する情報の中から真実を見つけるのは容易なことではないが、世界が一つになる為のインフラがやっと用意された、、、と考えたい。だから取るに足らない自分でも何かを発信する事が大切なのではないか。それが出発となりー情報は発信するところに集まるのでー今の時代に自分の出来ることが徐々に明確になって行く様な気がする。

2011年9月24日土曜日

草取りと徹底

朝、小一時間ほど草取りをした。大きな草から抜いていくと、かなり取っても振り替えると少し減ったかという感じ。ところが狭い区画でも草を全部抜いてしまうと綺麗になっている。ふと、これが徹底ということか、、、と思った。会社では良く目標設定の時「◯◯の徹底」と簡単に使うが、本当の徹底は小さな草も見逃さずに根こそぎきれいにする様に投入しなければできないものなのではないか、、、。


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2011年9月23日金曜日

信仰の原点❸

統一教会では「為に生きる」という基本的な教えがある。人のために何かすることで、本当のよろこびを実感する、、、何となくわかる気がするが、何だか漠然とした印象があった。ある研修会で講師の人が「例えばトイレのスリッパをきれいに並べること」という話を聞いて、一気に身近に感じることができた。早速やってみて、これが「為に生きる」実践かーっ!と妙に納得した(充実した)瞬間でした。


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2011年9月20日火曜日

信仰の原点❷

原理を学び始めた頃、「神様が存在するなら見せてくれ!」と言ったことがある。その時「あなたは見えるものしか信じることが出来ないの?愛は信じないの?」と言われて反論できなかった。だからと言ってすぐに神様を信じることはできなかったが、「神はいないと証明されたわけではない」「人間や宇宙の存在の背後に意思がある様な気がする」「すでに神を信じる多くの人々が世界中にいる」という様な思いから「神様が存在すると考えたほうが良いのかもしれない」として、とりあえず統一原理を受け入れた。

2011年9月18日日曜日

信仰の原点

自分は学生時代に「日本共産党」に入り(熱心に活動したのは2年間だけですが)それ以来ずっと共産主義を信じていた。だから「統一原理」を聞いたとき、神様なんて居ないと思っていたし宗教は胡散臭いものだと思っていた。しかし、「統一教会」とは知らされずに先入観なしで学んでいくと、論理的でしっかりした理論であり、理想を実現させるための実践運動でもあると理解できた。間もなくして「ついに共産主義を超える思想に出会えた」という感動を覚えたのです。そして、この時の感動こそが自分にとっての信仰の原点なのです!

2011年9月14日水曜日

仕事は訓練?

仕事の中では色々な心情を経験する。客の理不尽な要求への対応、ある時は罵られたり、会社と客に間に挟まれた難しい交渉、社内では売上数字に追われる毎日、、、。こういうのは「訓練」だと思えば良いか!待てよ、じゃあ何のための「訓練」?神様が仕事を通じて私を「訓練」するのは、その成果を発揮する場が用意されているということか!


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2011年9月6日火曜日

ALWAYSで泣けた

映画「ALWAYS三丁目の夕日」を観て泣けた。古き良き日の情景の中に深い愛を感じさせられて感動を覚えたのだった。昭和30年代前半の人情にあふれる下町が舞台だったが、根底にあるには愛であり、特に親子の愛、憎まれても相手のために堪える本当の愛というものを感じた。愛を最高に深めていったのが真の愛ということか!自分はまだ神様から愛されているということに気がついていないのでは⁉


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