2011年12月3日土曜日

2011年12月1日木曜日

組織の主人公

『将来、私が立派なリーダーになって、それらの矛盾を自らの責任で解決してみせる』ーーー桜井先生聖和式での徳野会長送辞の証より。ある組織の責任者として悩んでいる時にいただいたアドバイスだそうです。ーーーこれこそ組織の真の責任者"主人公"の姿を示しているものとして感銘を受けました。ほとんどの人が何らかの組織に所属している中で、無責任な批判を繰り返すのは簡単だが、自らの組織に主人意識を持ち実行するのは簡単ではないと思います。人を導くことがどれほど困難なことか、それでも天の願いに応えたいという意欲があれば、、、。

2011年11月20日日曜日

二世ガンバレ

中和文化祭で二世のスピーチを聞いた。二世に共通の葛藤ーーーなぜ自分は二世として生きなければならないかーーーこれを乗り越えるには、結局、神様(の愛)を実感する時があるのだなぁと感じた。自分の意志でこの道を選んだ我々には、後戻りしたくないという思いがある。しかし、最初から二世として育てられてきた(見られてきた)者の気持ちは我々には経験のない世界である。だから二世を愛し、見守り、神との出会いの場を準備してあげるしかないのか?それでいいんだろうか?ーーー親は親で葛藤するーーーうん!やっぱり家族だ!真の愛を中心とした真の家庭だ!

2011年11月18日金曜日

もしも自分(あなた)が神様だったら

もしも自分が(全知全能の)神で人類を創造するとしたら、ただ自分の命令通りに動く人間を創るだろうか?原型となる肉身は創るとしても、ーーー人間たちが自分の自由意志で善人として成長して罪のない人類一家族のような平和な世界を創るのを見守りたいーーーと考えるのが自然ではないか。そのためには、人間が成長する期間が必要であり、その時は神様も直接干渉できない。だから人類始祖が神の願いに反して堕落してしまい、その後も悪の血統を繁殖させてきたために、神様が創造なさったにもかかわらず悪と罪がなくならない世の中になってしまった、、、。そのような人類を深い悲しみの中でご覧になっていた神様が実在するとしたら、、、。

2011年11月17日木曜日

共産主義を超えた思想との出会い

自分は学生時代に知った『共産主義』が正しいと思っていた(共産党員として活動していたのは2年間だけ)。だから『統一原理』と出会った時は「やっと共産主義の呪縛から解放された!」という感動を感じた。それが自分と統一教会の関わりの出発点だった(宗教団体ではあるけど内容は論理的な思想に基ずいているため宗教らしくないのも良かった)。信仰生活の難しさや自分の足らなさはいつも感じるものの、統一原n理の思想(理論)としての正しさは学んでいくほど確信が深まる。しかも、今の世の中を理想社会にしようという『運動』そのものなので、自分が参加していることにも誇りを感じる。ーーー神様から与えられたチャンスを自分の自由意志で選んだ道ーーーだというところに価値があると思っています。

2011年11月14日月曜日

俺はもっとやれる!

「自分は今よりもっとやれる」と信じて努力を続ければ絶対に成功できる。人と同じ時間の中で比べれば非効率的だと思えることでも、他人が何もしていない時にやればプラスαになるーーーあるアスリートの特番を見ていて、ふと「これって誰にでも当てはまるじゃないかなぁ、、、」と思った。しかし、それを実行するのがトップアスーリートであり成功者ということか。そうでない者との違いは何か?明確な目標とモチベーションを保つための強い意志、これを持てるかどうかーーー素質は関係無い、みんな平等にチャンスが与えられている、さらに自分の使命を感じるーーー俺はもっとやれる!

2011年11月11日金曜日

為に生きるためには

(人の)為に生きるということは、『自分のことはさて置いて他人を助ける』のではなく『自分のことはサッサと片付けて他人を助ける』ことーというみ言があった。つまり、人並み以上の能力を身につけて、それを他の人のために用いなさいということだろう。そして原理のみ言には各自の能力を高める力が有る!なぜなら、人生と宇宙の根本問題を解決する【新しい真理】だから。自分が何者で今がどういう時かをハッキリ知ることができれば、、、。

2011年11月3日木曜日

ボランティア

海岸清掃ボランティアに参加した。今年は原発事故の影響で人出が少なくてゴミは目立たなかったが、50人で小一時間拾ったらけっこう集まった。綺麗にするいういう行為は無条件に楽しい!それは誰もが汚い物より綺麗なものを願っている事に確信がある、つまり、人のために役立っているということに疑いがないからではないか。同時に、綺麗にしたいという人間の本心に反してゴミをポイ捨てする行為も無くならないという矛盾を感じる。(いくらゴミ捨て防止の規則を作っても解決しないでしょう) 本心に従って生きるということが簡単では無い世の中で、もがき苦しんできた我々を救おうとされている神様がおられるとしたら、、、。その声を聞こうとする姿勢がとても大切なことのような気がするのです。

2011年10月25日火曜日

アリ塚の風景(想いで話)

二十数年前、南米のパラグアイという国で3年間過ごした。就職先がなかなか見つからず、青年海外協力隊に応募して任地となり(各国から職種を指定して募集があるので、自分で行き先を決めれない)、日本から派遣されたボランティアとして現地の農学校で教えていた。現地人も相当の技術力はもっているし、自分は実社会経験がなかったので、何かを教えたと言うより『良い体験をさせてもらった』と思ってる。バスで移動する風景の中に必ずアリ塚があった。けっこう大きくて草原の地面からニョキニョキ出ていた。とても硬くて素手では壊せないし、穴を開けるとすぐにアリがゾロゾロ出てきて修復してしまうのをずっと見ていて飽きなかった。発展途上国とは言っても飢えているわけでもなく、みんなそれなりに働いて生活を楽しんでいるようだった。物があれば幸せというもんじゃないんだなァーと漠然と感じたことを憶えてる。

2011年10月24日月曜日

不義な満足感より良心の呵責

「自分一人の利益のために隣人を犠牲にするときに覚える不義な満足感よりも、その良心の呵責からくる苦痛の度合いの方がはるかに大きいということを悟るときには、決してその隣人を害することができない」【原理講論-総序より】よく『地球村』という言葉を聞くが、皆本心では人類は平等であるべきと考えている。罪のない世界=天国が、この地上に現実世界として建設されるためには、新しい真理が必要になる。この真理は神の啓示として我々の前に現れ、宗教の問題を含む根本問題を解くものでなければならない。地上天国が実現すれば、人類は兄弟となり国境も不要となるし、そもそも争う必要がなくなる、、、。もし、新しい真理がすでに再臨主によって明かされているとしたら、地上天国建設がもう始まっているとしたら、、、それをただ傍観するか、それとも同参するか、、、正に最後の審判なのではないでしょうか。

2011年10月23日日曜日

俗人と道人(総序より)

「肉身の快楽にふける俗人の喜びと、清貧を楽しむ道人の喜びとは、全く比べものにならない。」【原理講論-総序より】これは現代の物質文明社会の中で精神的豊かさが見直されていることと一致する。科学が発達しても人間の精神的欲求までも満たすことはできず、宗教も現実を離れ心霊的な喜びのために肉身の幸福を否定してきたが、無能化してしまった。よって、科学の対象は内的な原因的な本質の世界へとその次元を高めなければならない段階に入ってきている。また、宗教においても信ずるということは知ることなしにはあり得ないので、論理的で科学的なものでなければ、その目的を達成することはできない。「いつかは、科学を探し求めてきた宗教と、宗教を探し求めてきた科学とを、統一された一つの課題として解決することのできる、新しい真理が現れなければならないのである。」【原理講論-総序より】なんて壮大なロマンなのだろうか!

2011年10月20日木曜日

原理にはロマンがある

人は誰しも「真理」を求め、争いのない平和を願います。統一原理の核心は文鮮明師に啓示された内容であり、それは地上天国の実現のための新しい真理であるという。例えばそれは「すべての主義・思想・宗教を統一する真理でなければならない」とか「人生と宇宙に関する根本問題はそれを想像し給うた神がどのような方であられるかを知らない限り解くことができない」などスケールの大きさを感じざるを得ない。こんなにもワクワクする面白い内容を自分ももっと深く理解したいと特に最近思うようになりました。

2011年10月16日日曜日

自分の行くべき道

 このブログを立ち上げたとき、自分用のものとして何か思いついたことを書き留めておいたり、自分の考えや想いをいつか家族に伝えるのに良いかなというぐらいの考えだった。ただしブログとして公開しているのでいつ誰に観られているかも知れないことは分かっていたし、ある程度投稿していると自分のメッセージを多くの人に伝えたいという想いが湧いてきました。そして、今日の聖日礼拝の説教を聞いて「これが自分の行くべき道」だと感じました。ですから今後はより多くの人に伝えるメッセージを投稿していきます。それが世界平和の実現を願う者としての、統一教会員としての、再臨主が今地上世界に生きていらっしゃることを知った者としての、『使命』だと感じるからです。

スマホと先入観

  「スマホは使いこなせないから不要」という言い方が妙に気になった。例えば10という能力を持つ普通の携帯電話を90%使いこなしていれば9の能力を使っていることになる。でもスマートフォンに100の能力があれば10%しか使いこなせなくても10という能力が使えることになる。実際の能力を数値化したわけではないが、問題は「使いこなせるかどうか」ではなくて「どれだけの能力を使えるか」なのに「使いこなせなければ意味がない」という先入観のようなもので自分にブレーキをかけてしまうこと。ひょっとしたら無意識のうちに自分も先入観(もしくは変なこだわり)にとらわれて、大きなチャンスを生かせなかったことがあったかもしれない。これからは自分の成すべきことに向かって純粋な気持ちで、ひたむきに進んで行きたいものだ。

2011年10月13日木曜日

原理は難しいか

原理はなぜ難しいのかと聞かれた。確かに普段使わない用語が多く出て来て、すぐには理解できないし、キリスト教に無縁な者には難解な表現も少なくない。ただ、全ての根本となる体系的な思想であり、膨大な内容が凝縮されているので、容易に理解できなくて当然なのではないか。それでも一生懸命に理解して周囲の人々に伝えることができれば、それこそが自分自身の喜びであり、与えられし使命でもあると考えます。


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2011年10月5日水曜日

祖父の写真

18年前、祖母の葬式が終わってタンスの遺品から出てきたのが祖父の写真だった。初めて見た「おじいちゃん」は戦争に出兵する時のような銃剣を持って立っている写真だった。それから10年後、その写真を捜して本家を訪ねたが、知らないとのこと、祖母の遺影をコピーさせて貰おうと額から出したら祖父の写真が裏に入っていた。(あの時叔父さんが入れたのだろう)何か劇的な出会いの様な感じがした。よく見ると自分に似ている、、、「良く見つけてくれたなっ」と言われた様な気がした。今のところ祖父から受け継いだ(自分の)苗字を継ぐ男子は親戚の中で我が子だけだ。自分が氏族(先祖供養)に責任を与えられていると考えて、襟を正していきたいものだ。


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2011年9月30日金曜日

TOEICの記事に思う

「郵便配達員が2年でTOEIC980点」というニュースにショックを受けた!実は自分も会社の方針で半年に一度TOEICを受験している。社内基準点はクリアしていて少しづつスコアも上がっていることに何となく満足していたのだが、、、。彼は高い目標に【挑戦】し、その為の努力を2年間続ける事で【勝利】した。それに比べて自分は何かやることが中途半端で、どこかで妥協していたように感じる。何事もやるからには徹底的に、ひたむきに、一心不乱に、、、やる所に【勝利】が与えられるのか。


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2011年9月28日水曜日

IT時代に想う

自分が「パソコン」という言葉を初めて聞いたのは学生の時だった。工学部の友人がMZ80という初期のパソコン(記憶媒体はカセットテープ)を持っていて、雑誌に載っているゲームのプログラムを打ち込んでいた想い出がある。今では子供達もネットにつながっている時代になって、少なくとも我々が経験したことの無い青少年期を謳歌している(?)氾濫する情報の中から真実を見つけるのは容易なことではないが、世界が一つになる為のインフラがやっと用意された、、、と考えたい。だから取るに足らない自分でも何かを発信する事が大切なのではないか。それが出発となりー情報は発信するところに集まるのでー今の時代に自分の出来ることが徐々に明確になって行く様な気がする。

2011年9月24日土曜日

草取りと徹底

朝、小一時間ほど草取りをした。大きな草から抜いていくと、かなり取っても振り替えると少し減ったかという感じ。ところが狭い区画でも草を全部抜いてしまうと綺麗になっている。ふと、これが徹底ということか、、、と思った。会社では良く目標設定の時「◯◯の徹底」と簡単に使うが、本当の徹底は小さな草も見逃さずに根こそぎきれいにする様に投入しなければできないものなのではないか、、、。


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2011年9月23日金曜日

信仰の原点❸

統一教会では「為に生きる」という基本的な教えがある。人のために何かすることで、本当のよろこびを実感する、、、何となくわかる気がするが、何だか漠然とした印象があった。ある研修会で講師の人が「例えばトイレのスリッパをきれいに並べること」という話を聞いて、一気に身近に感じることができた。早速やってみて、これが「為に生きる」実践かーっ!と妙に納得した(充実した)瞬間でした。


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2011年9月20日火曜日

信仰の原点❷

原理を学び始めた頃、「神様が存在するなら見せてくれ!」と言ったことがある。その時「あなたは見えるものしか信じることが出来ないの?愛は信じないの?」と言われて反論できなかった。だからと言ってすぐに神様を信じることはできなかったが、「神はいないと証明されたわけではない」「人間や宇宙の存在の背後に意思がある様な気がする」「すでに神を信じる多くの人々が世界中にいる」という様な思いから「神様が存在すると考えたほうが良いのかもしれない」として、とりあえず統一原理を受け入れた。

2011年9月18日日曜日

信仰の原点

自分は学生時代に「日本共産党」に入り(熱心に活動したのは2年間だけですが)それ以来ずっと共産主義を信じていた。だから「統一原理」を聞いたとき、神様なんて居ないと思っていたし宗教は胡散臭いものだと思っていた。しかし、「統一教会」とは知らされずに先入観なしで学んでいくと、論理的でしっかりした理論であり、理想を実現させるための実践運動でもあると理解できた。間もなくして「ついに共産主義を超える思想に出会えた」という感動を覚えたのです。そして、この時の感動こそが自分にとっての信仰の原点なのです!

2011年9月14日水曜日

仕事は訓練?

仕事の中では色々な心情を経験する。客の理不尽な要求への対応、ある時は罵られたり、会社と客に間に挟まれた難しい交渉、社内では売上数字に追われる毎日、、、。こういうのは「訓練」だと思えば良いか!待てよ、じゃあ何のための「訓練」?神様が仕事を通じて私を「訓練」するのは、その成果を発揮する場が用意されているということか!


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2011年9月6日火曜日

ALWAYSで泣けた

映画「ALWAYS三丁目の夕日」を観て泣けた。古き良き日の情景の中に深い愛を感じさせられて感動を覚えたのだった。昭和30年代前半の人情にあふれる下町が舞台だったが、根底にあるには愛であり、特に親子の愛、憎まれても相手のために堪える本当の愛というものを感じた。愛を最高に深めていったのが真の愛ということか!自分はまだ神様から愛されているということに気がついていないのでは⁉


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2011年8月30日火曜日

新首相誕生

昨日日本の次期総理大臣が決まった。野田佳彦氏はなんと私より一つ年上だという。自分と同世代の人間が世の中のリーダーとなっている現実を改めて思うと何か申し訳なく感じる。もっと社会の一員として、皆を導く者として果たしていない自分の責任があるのではないか。


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2011年8月10日水曜日

せめて手紙を

コミュニケーションツールはたくさんあっても、その人に自分の思いを伝えるのは簡単ではないし、エネルギーが必要でしょう。そこを突破できれば面白いことが起こるかもしれない。なかなか会えない両親には、せめて手紙を書いてみよう!


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2011年8月9日火曜日

宗教人はすごい

宗教人(家)はすごいと思う。宗教は大雑把に言うと、良いことを啓蒙するものだと思う。だからそれを実践しようとする人は
良い行いを実行するわけで、みんながそうなったら理想世界じゃないか!しかも自分で決意すればできる=自分との闘い?
結局は今の世の中で自分だけが善を実践することが難しいということか?だから宗教家が尊敬されるのか?何か突破できそうな気がする、、、。

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2011年7月27日水曜日

社長と接する

今年になって社内の部課長会議に参加するようになり、社長の話を聞く機会が多くなった。改めて感じたのは、我々にどう話すか、どういうエピソードをどういう口調で話せば自分の意思が伝わるかーということに気を遣っていること。もちろん、人物として尊敬できる方で、話の内容も素晴らしいが、さらに気配りの配慮に感心してしまいました。

2011年7月26日火曜日

一日を千日の如く

それくらい充実した人生を送りたい、、、というのが多くのひとの願いだろう。あと余命何日と宣告されたら可能かもしれないが、普通の生活をしていては難しそうだ。以前会社の研修で「20年後の自分の目指す姿が明確になった時、今何をしなければならないかが見えてくる」というのがあった。やらなければならないこと、やりたいことがどれだけあるか?そこが問題か、、、。

2011年7月25日月曜日

食料問題

NHKで日本の食料問題を考える番組をやっていた。自給率アップが困難な状況の掘り下げが足りないようだった。米以外の穀物生産が増えないのは、米を重視した価格保証と兼業農家では米以外の耕作が難しいためだと思う。(稲作は機械化の発展で兼業でも可能という特殊性がある)
そして、外交を重視して穀物輸入の安定化を図り、得意の技術力で経済成長を目指すという考えも、世界的な食料不足が予想される現状では不安である。やはり世界平和が実現して地球村にならなければ、、、。

2011年7月20日水曜日

課長と婦人部長

去年までは名ばかりだったけど、今年から課長らしい仕事をせざるを得なくなった。自分は営業部門の課長として毎月の販売数字に責任のある立場ですが、その責任の重さを最近感じるようになった。どんな組織にも予算があって、極端に言えばその通りに決算しなければ組織として成り立たないのです。そのことに責任を持っているのが管理職で一番現場に近いのが課長なのです。毎月毎月数字に追われ、締日には胃が痛くなるけど俺たちが会社を支えているという自負心がある!これってあの「婦人部長」と似てる⁈


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我が妻

先日、妻が入院した。3年半前に乳ガンで摘出手術をしたが、今回転移していることが分かり、その検査と治療法を決めるためだった。結果は肺と肝臓に転移していて通院して化学療法(抗がん剤の投与)で様子をみるとのこと。入院して手術するわけではないが、髪の毛が抜けるような強い薬を使うので身体には負担がかかるようだ。いずれにしてもガンと戦う妻を家族でどう応援していくかーーー考える時だ。

2011年7月11日月曜日

夫婦の愛

妻は夫から「愛している」の一言を求めているが、男はそういうことは口に出して言うのに抵抗がある。これは男と女の性格の違いを理解して解決することができる。しかし相手に何かしてもらうという思いを捨てて、与えてもなお与えたいという『真の愛』を夫婦間で実践するのは簡単ではない。でもそれが夫婦円満の秘訣だと気がついたのです。

2011年7月5日火曜日

後孫へのメッセージ

自分がこの世にいる間にしなければならないことがあります。その一つがメッセージを残す事です。自分が先祖から受け継いだものを、後孫に伝える根本は血統です。しかし伝えたいことは膨大な量があり、直接語るか文字として残すか、それをどきまでできるかが問題。このブログがその役割を担うことを願う。

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2011年7月2日土曜日

平和な世界

おそらく、地球上の大多数の人々が「平和な世界」を望んでいることは間違いないでしょう。しかしそれが実現困難だと誰もが感じていることでしょう。国連にはもはや紛争を解決する力は無く、自国の利益を優先せざるを得ない政治家も平和な世界を実現するのは不可能と言わざるを得ない。『地球は一家、人類はみな兄弟』となればすべて解決するのに、、、。つまり、宗教の力ーーーそれも観念的なものではない論理的で科学とも対立する事のない新しい真理を持った宗教ーーーによって「平和な世界」は初めて実現するでしょう。


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鳥越俊太郎のTVドキュメント

2011年6月30日放送のドキュメンタリーに感動。ジャーナリスト鳥越俊太郎が大腸ガンと闘いながら現場取材を続ける生き様、、、、数回の手術もガンと付き合う生き方とし、むしろガンになったおかげで残りの人生を濃く生きることが出来ていると語っていた。
前向きな気持ちが素晴らしい。それは自身の使命を強力に感じているからではないかと思われた。残りの人生をどう生きるかを突き詰めた時、自然とガンと付き合う生き方が見えてきた様で、特に気負ったところがないのが凄い。


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2011年6月17日金曜日

愛の本質

人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為に生きることです。(「平和を愛する世界人として」より)

2011年6月1日水曜日

国際結婚が進めば、、、

国際結婚がもっともっと増えて普通になれば、単純に考えて国際紛争や宗教・宗派間の争いは無くなるのではないだろうか。ただ、文化・宗教の壁を超えるには相互理解と平準化が進まなければならないだろう。その点では、神様の基に国境撤廃や人類皆兄弟姉妹を掲げ、国際合同結婚式や宗教間の交流を実行している「世界基督教統一神霊教会」の目指す方向は、全ての人の願いに合致していると思う。

2011年5月16日月曜日

「シンプルに生きる」

「断捨離」に近い内容。タイトルがそれこそシンプルなのが分かりやすくて良い。特に残ったのが食事の話で、普段必要以上に食べ過ぎているのではー本来空腹になった分だけを食べればいいのに、習慣で食べてしまってはいないかーという指摘。食べるべき必要量は自分の身体に聴けば分かるはずが、それを無視して生活してしまってる!?ウーン、そうかもしれない、、、。